ゆりはり堂 お母さんの身体が整えば家族も元気 岩手北上

ゆりはり堂院長の鍼灸あん摩マッサージ指圧師のゆりです。

あきちゃんへの哀悼

初七日を迎える今日。

 

先週、従姉妹のあきちゃんが旅立ちました。

 

私と同い年、38年という、

なんとも短い生涯。

 

彼女の姉曰く、

濃く、短い人生だった。

 

ほんと、その通り。

 

高校生から続いた、体調不良。

その最後は、ガン。

 

晩年は、私の治療院で、お話会やエステ会をしたりと、

一緒に仕事ができたこと、

楽しい時間を貰いました。

 

実は、私の夢は・・・

本家の家の空き地に、接骨院を建てることだった。

玄関を開けると、まず、こたつ(笑)

いつも、茶の間に座っていた、おばあさんにも出勤してもらい、

近所の方々の憩いの場に。

ドアが二つ。

1つは、私の、治療院。

もう一つはあきちゃんのエステサロン。

3人で一緒に仕事することが、夢だったぁ…。

 

そんなこと、ふと、思いだして、

叔母と最後の食事を囲みながら、そんな話をしたんだった。

 

お葬式で、彼女の幼馴染という方と話していた時、

不思議な話を聞いてしまった。

 

彼女は、西洋医学と、東洋医学をはじめとした、代替医療、食事療法など、

それはそれはかなりの調べ物をしていた。

彼女のど根性で、今までの体調不良は、終息してきていたが、

心の深い所での、苦しみが癒えてなかったのかな。

 

西洋医学は途中で辞めてしまったが、

果たして、

最後まで西洋医学を通しても、

至る所は同じだったのかな…!?

 

なんて気さえしてしまった、私。

 

中間子で育ち、親へ甘えることを知らずに育ち、

男になんて負けてたまるかな精神で過ごし、

相手のことを第一に、

自分の事は二の次に…。

皆は優しい…とは言うが、

本心を出せずに、一人戦い抜いた人生だったのかな…

そんなことを思うと、これを記していても、涙が止まらない。

 

晩年の彼女は、心からのいい顔をしていたと思う。

 

最後は、お母さんに看病をしてもらい、

今まで甘えられなかった分を取り返すように、

甘えていたんだと思う。

 

二人で一人、そんな感じにも見受けられた。

 

彼女が亡くなったと知らせが朝一であり、

その後、仕事と仕事の合間に、お焼香に出かけたが、

横になっている彼女の顔は、すがすがしく、

叔母の顔も、ほっとして、落ち着いているように見えた。

 

2人にしか分からない状況だが、

2人とも、満足していたように見えたし、

話した。

2人とも、やるだけのことはした、

出し切った、

悔いはない。

そう叔母も言っていた。

 

不思議な光景だったが、

他人が介入することなく、

彼女の満足するまま、

それを受け入れた、叔母。

 

ようやく、本当の親子になったんだと思うと、

嬉しくなった。

 

同じ、中間子の私は、痛いほどよくわかる。

私は、客観的に、自己分析は終わっており、

心の痛み、

母との関係は、

浄化できていると思っている。

 

オットの素直な甘えが、最初は、気持ちが悪かったが、

人は、こうして、人に甘えていんだと、

いうことを教えてくれたのは、オットだった。

 

私の中にいる、インナーチャイルドを癒してくれたのは、

オットなんだろうな。

 

人は出会いで変わると、思った。

 

1人の人生から、

色々な事を学んだような気がする。

 

胎内記憶からすると、

使命を決めてくる。

そして、親を選んでくる。

 

全てはシナリオだったのではないかと、

本当にそう思わせて貰った。

 

ただ、

葬式の最中に考えていたのは、

喪主の、思い。

 

我が子の葬式を出す、

親の気持ち。

 

正直、

自分ごとに考えてしまうと、

ゾッとする!

 

叔父は、キリッと、

喪主を、成し遂げた。

 

心底、尊敬する。

 

一番、

誰よりも深い悲しみがあるはずだ。

 

叔父と叔母、

どうか、彼女の分も、

元気に長生きしてもらいたい。

 

彼女の笑顔のために。

 

 

二十八日、記す。